実は私、自分の事って本当にわからないんです。
本当は何になりたいのか、何をやりたいとか。
確かにそうじゃな。
多くの人は、自分の事を知るヒントを目の前に提示されても、それを受け入れることができないからな。
え?受け入れるとかそういう問題なんですか?
人は自分の事をわからないままにしておきたい、という想いがあるのかもな。
自分の事がわからない、という悩み
自分のことがわからないことの弊害
自分のことがわからない、と悩む人は多い。
実際のところ、自分の事がわかっていようがわかってまいが、日々の生活に何の問題もなければ、それは悩みになることはありません。
悩みになるということは、何かしら不都合があるわけです。
ではそれは何なのでしょうか?
実は多くの場合、それは生きがいの欠如だったり、人生の目的について悩んでいる時ではないかと思うのです。
自分探しは生きがいの欠如から始まる
まずは人生に何かしらのつまづきを感じます。
受験や就職に失敗した、
仕事がうまくいかない、
仕事がつまらない、
恋愛や人間関係がうまくいかない、
思ったようにお金が稼げない、
など、自分の描いた理想的な生き方と現実がズレていると、その問題が自分の生き方にあると感じ、自分本来の生き方ってどういう生き方なのだろう?と考え始めます。
それは多くの場合、成長につながる欲求となります。
しかし、今の自分には破れない壁のようなものを感じるとき、成長への努力も諦めてしまいがち。
その時に、「違う線路に乗れば、スムーズに生きられるのではないか?」という期待をもって、自分探しを始めたりします。
自分探しのゴール
そう考えると、自分探しのゴールは、
天命や使命を探すとか、生きがいを明確にするとか、そういう考え方もありますが、
「イキイキと日々を楽しむ」
という状況が出来れば、それでいい、という事になるのではないでしょうか。
なぜ自分のことはわからないのか?
自分の事がわからないという悩みは成長が必要な時やってくる
自分の事がわからないと悩むときは、何かが上手くいっていないとき。
それはすなわち、今までの自分では乗り越えられない壁に接した時です。
乗り越えられない壁、というと大層なことに感じられるかもしれません。
すごく大変なことにチャレンジしてるわけでもなく、環境の大きな変化があったわけでもなくても、その壁は訪れることがあります。
今までのステージでは退屈するんですね。
心の奥底からの、「もっと成長したい」という叫び声と言ってもいいかもしれません。
そして、その乗り越えられない壁というのは、自分が見ないでおきたい、自分の本質が作り出しています。
これまで見ることを避けてきた自分
自分探しをすればするほど、自分の事がわからなくなります。
それもそのはずで、自分探しをしたくなる時は、自分が見ることを避けてきた自分の一部分が騒ぎ出しているときだからです。
このとき、様々な方法で自分を知ろうとするでしょう。
心理テスト、占い、スキルチェック、などなど。
けどたいてい「これだ!」というものは見つかりません。
見つからないというより、それを拒絶する自分がいるのに、
そのことに気付かないのです。
それは時に弱さであることもあれば、強さであることもあります。
子どものころの体験などで、その自分の特質を発揮することで痛い思いをした事があるのかもしれません。それを封印しているのです。
自分を知ることは自分を受入れる事
自分の情報をまずは受け入れてみる
たとえば、友人から「君って、〇〇が上手だね」とか、「□□が少し弱いね」と言われた時、まずはこう思ってください。
「もしかしたら、そうなのかも?」
決して100%受入れろ、というつもりはありません。
自分では「そんな事ない」と反射的に拒絶する前に、ほんの少し「そうかも?」という余地を残してみて下さい。
さらに、そうかも?という前提で行動してみます。
たとえば、「君は文章がうまいね」と言われたとします。
自分ではとてもそんな風に思えないけど、じゃあせっかくだから、という事でブログでもSNSでもいいのでいろいろ書いてみる。自分はうまいんだ、って前提でその力を使ったとき何が起こるかを検証してみて下さい。
そんな時新たな自分と出会うことがあるのではないかと思います。
そしてその積み重ねが、自身の生きがいと出会うための一歩となるはずです。
・自分には破れない壁を感じるとき、現実的な努力をあきらめ、違う線路を探し始める事が「自分探し」
・自分の事がわからないのは、本来の自分を拒絶しているから(実はわかっているのに、受け入れられないだけ)
・他人からの評価や情報は、反射的に拒絶せず「そうかも?」と一度は受け入れる
・その積み重ねが、自分と出会い受け入れることにつながる
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